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管理人プロフィール

こんにちは、リリーです。
私のウェブサイトにお越し下さり、ありがとうございます!

ここでは、私がどういう経験を経て、こうしてWEBマーケティングを学び、
会社員ではなく、フリーランスの道を選択するという考えに至ったのかを書いています。

私は、どこにでもいる普通のOLです。
恥ずかしいことに、何も考えずに仕事をしていたら
あっという間に30代後半に突入してしまいました。

何かを始めるのに遅すぎるという年齢はありません。
やりたいと思えたときが、自分にとってのベストなタイミングです。

基本情報

名前:リリー
生年月日:1988年5月23日
出身地:アメリカ
仕事:ヘルスケア業界 総務(社会人歴13年目)
性格:超内向型人間(16性格診断:管理者(ISTJ)、DiSC:C)
趣味:動物の動画を観て癒される、カフェ巡り

幼少期から小学生時代:初めて経験する生きづらさ

私は、父はサラリーマン、母は専業主婦という一般家庭の次女として生まれました。
私が生まれた頃は、日本はバブル経済期で多くの駐在員が日本から海外へ
派遣されていたそうです。父もその一人で、小学校3年生までアメリカで育ち、
その後、静岡、そして東京へと住まいを移しました。

両親は派手な生活を好まないタイプで、外食は基本しない、
家族旅行は車でいける範囲と決められていましたが、
習い事だけは何でもやらせてもらえました。

アメリカに住んでいた頃は、それなりに友達もいて特に苦労はありませんでした。
ただ、積極的に自分から友達を作れるような子供ではなかったです。

状況が変わったのは、日本に帰国してからでした。

アメリカからの転校生ということが珍しがられ、自分の意図と反して、
目立ってしまう存在になっていました。
それをおもしろくないと思う人もおり、嫌がらせを受けるようになります。
この頃から、子供ながらに生きづらさを感じるようになりました。

中学生から高校生時代:理想とかけ離れた現実


中学生になっても嫌がらせは続き、
生きづらいという想いが変わることはありませんでした。
徐々に人のことが信用できなくなり、 感情を内にしまい込むようになります。

中学2年ごろから高校受験のために塾に通うようになり、
勉強をして、いい成績をとることが心の支えになっていきました。
テストでは、いつも上位10%以内に入ることが目標にしていました。
そして、高校は県内2位の公立高校を目指すことを決めていました。

そんな中、父の転勤が決まり、高校から東京に引っ越すことが決まります。
目指していた高校に行けないと知り、
私は“報われない努力もあるんだな”と虚しい気持ちになりました。

心がボロボロになったまま、始まった高校生活。
東京の受験事情がわからないまま、とりあえず受験をし、
合格した都立高校に通い始めました。

しかし、全く学校に馴染むことができませんでした。
目指していた高校に行けなかった悲しさから、
学校生活が楽しめず、気が付けば孤立していました。

2学期に入ると同時に退学し、通信制の高校に転校。
勉強もあまり難しくなかったので、バイト三昧の日々を送っていました。
高校時代が一番勉強しなかったと言えるほどです。
自分が思い描いた高校生活とは遠い世界にいました。

大学生時代:自分らしさを取り戻した青春

暗黒時代とも言える高校生活を抜け出し、スタートした大学生活。
人生の中で一番勉強をしなかった高校時代を経ての大学受験だったので、
偏差値は40~45ほどの大学に入学しました。

大学生活は本当に楽しかったです。
はじめて嫌がらせとは無縁の学校生活を送ることができました。

大学生になって、1番やりたかったことは留学でした。
一緒の目標を持った友人とも出会い、
学校の近くのファミレスで深夜まで勉強をしたのがいい思い出です。

努力が実り、 大学3年生のときには、
1年間のアメリカへの交換留学に行かせてもらいました。
これが人生で初めて得た、成功体験でした。

そして、4年生のときに日本へ帰国。
この頃、すでに新卒の採用活動は終了しており、
私は就職活動をしないまま、大学を卒業しました。

実家暮らしだったこともあり、お金に困ってはいなかったので、
特に何の不安も感じていないノンキな人間でした。

22〜25歳:会社員2年目で味わった どん底

大学卒業後、学生時代からのアルバイトを続けて約2カ月ほど経った頃、
周りの友人たちの苦労話を聞き、アルバイトをしている場合ではない!と
目が覚ますことができました。

無料の求人誌を手に取り、オフィスワークの仕事にいくつか応募。
20 人程度の小さな会社で英語を使用した一般事務の仕事に就くができました。

半年ほど働いたあと、もっと規模の大きな会社で働いてみたいと思い、
今度は外資系の化粧品会社へ就職。
海外出張も経験でき、毎日充実した日々を送っていました。

しかし、そんな日々も長くは続きませんでした。
働き始めてから約1年が経ったころ、社長が交代したことにより、
経営方針が大きく変わりました。

私が所属していた部署の人員が削減されることになり、
解雇を言い渡されたのです。
それまで定期的に行われてきた上司との面談でも、
いい評価をもらえていたので、現実を受け止められませんでした。

“正社員で頑張って働いても、突然仕事を失うこともあるんだ”
やりきれない気持ちになりました。

26~30 歳:上司に怯える日々

その後、2カ月ほどの転職活動を経て、無事に就職先が決定。
両親に心配はかけたくという思いから必死で転職活動をしました。
以前よりも小さい規模の会社でしたが、
海外販売向けのコンテンツを製作している会社に就職することができました。

裁量労働制という働き方で、残業は月60時間ほどありましたが、
仕事は楽しめていたので、苦ではありませんでした。

しかし、働き始めて1年半ほどが経ってところで、
上司が変わり、状況が一変します。

これまでの上司は、仕事に必要な情報は積極的に共有してくれ、
困ったときには、どんなに忙しくても相談にのってくれる、
部下の成長を影で応援してくれるような人でした。

一方、新しい上司は、チーム内での情報共有は一切なし、
自分の機嫌次第では、周りに当たり散らしたり、
1度承認したことさえ、取り消してしまうような
横暴なタイプの人でした。

そんな人が相手でも、器用に立ち回ることができる人もいましたが、
私には、そこまでのコミュ力はありません。
さらに相手が上司となると、ますます臆病になってしまい、
状況を変えるためのアクションを取ることができませんでした。

そして、私は胃薬を飲まないと
会社に行けないようになっていました。

以来、何のために毎朝起きているのかと思うになりました。
不眠症にもなってしまい、体調を崩すことが増えていき、
このままでは精神を病んでしまうと思ったため、
30 歳を機に退職を決意しました。

30~34 歳:仕事ができるほど損だと実感

その後、3カ月ほどニートをしてから、
新しい仕事を見つけるべく、就職活動をしました。
これまで正社員という働き方を選択してきましたが、

1社目で突然の解雇、
2社目は上司のハラスメント

そんな経験した私は、精神的に疲れていたこともあり、
今度は派遣社員として働くことを選択。

私はバリバリ働くのが好きでしたが、
この頃は本当に自信を失っており、
ただお金がもらえばいいという考え方になっていました。

残業もなく、自由に使える時間ができたことから
以前から興味があったサルサを習い始めました。

運動は不得意でしたが、体を動かすことがストレス発散につながりました。
またダンスという自己表現をとおして、心が解放され
失っていた自信を徐々に取り戻すことができました。

それからは、不眠症も解消され
仕事もより精力的に取り組むことができるようになりました。

派遣でいいと思ってスタートとしたはずの仕事でしたが
直接雇用のオファーをいただき、32歳のとき、再び正社員として働き始めました。

しかし、自分の業務範囲を超えた仕事も任されるようになり
自分の仕事量に疑問を感じるようになります。
自分の経験値も上がるので、仕事が増えることが嫌だったわけではありません。
ただ、納得がいかなったのが、上司から仕事を依頼される際に言われる
“〇〇さんは、できないから”という言葉でした。

〇〇さんとは、私にまわされてくる仕事を本来であれば、
やらなくてはいけない人です。
そんな状況でも、その方は仕事を失うことはありません。
一方の私は仕事が増えるだけで
その人の分のお給料をもらえることもありません

会社員でいる限り
組織の中で働かない人が一定いることを許容しなくてはいけない

私の中で、このことがどうしても上手く消化できませんでした。
人生の折り返し地点とも言える40歳を迎える前に
会社員を卒業したいと思うようになりました。

現在:見えてきた希望

 会社員を卒業する。

そう決めたとはいえ、私には何のスキルもありません。
何から始めたらいいか悩みましたが、サルサを始めてから
友人へのイベント告知のためにインスタグラムを使うになり
個人で活動するなら、SNS を使いこなすことは必須になると思いました。

そこで、Web を活用したマーケティングを勉強したい思い
知人の紹介がきっかけで知ったマーケターのスクールに1年間通うことを決意。

これまでの経験から自分に自信が持てず
正直、本気で何かに取り組んでくることがありませんでした。
叶えたい夢もないまま、これまで生きてきました。

しかし、このまま会社員として、会社や上司の都合に左右されながら
一生雇われとして働くことだけは避けたい、そう思うようになりました。

実現可能な計画プランを立て、1年後にフリーランスで月50万を目指します。
50万という数字は、闇雲に決めた数字ではありません。
スクールの実績に基づき算出された、0ベースの人でも達成可能な数字です。

このウェブサイトでは、私の成長過程を発信していきます。
本当にそんなことが可能かどうか、このサイトで確かめてください。

私のように会社員を辞め、フリーランスで自由な働き方をしたい!
という方々の役に立てることを目指して発信をしていきます。

ぜひ定期的にのぞきに来てくださいね。
最後までお読みくださり、ありがとうございます!

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